浮気・不倫され、それでも再構築を目指す。
それは並大抵の決意では到底かなわないでしょう。
正しく、いばらの道です。
もがき、苦しみ、悩みに悩んだ末に決意された事と思います。
本当に僕もそうでした。
自分以外の異性と、心を通じ合い、濃密な情を交わしていたパートナーと、もう一度関係を再構築する。
どんなにどんなに悩んでも答えが出ません。
頭の中では、まるで目撃したかのように、濃密に絡み合う不倫の情景がグルグルと駆け巡ります。
自分にしか見せる事のない痴態で絡み合う2人。
パートナーの雰囲気やしぐさから感じられる、自分とする時とは違う行為のやり方。
付き合い始めの頃に、情交後に自分によく見せていた、妖艶な顔で不倫相手に微笑むパートナー。
本当に頭がおかしくなってきます。
それでも再構築を決めたのはどうしてなんでしょう?
連れ添って来た年月の分だけ、家の中を見渡しただけでも、色んな思い出が次々とよみがえって来ます。
壊れてしまった炊飯ジャーを買い替えに行った時、次はどんなのが良いか、一つ一つ吟味しながら選んでいた時の笑顔。
家をリフォームした時、使い勝手を考える真剣な顔。
一生懸命、掃除をしていた姿。
思い出しただけでも涙が出ます。
絶対に不倫相手になど渡したくない。
しかし、ここで大事なのが、その気持ちが愛なのか、情なのか?
自分がいないとこの人はダメになる。
色々な思い出と共に、また、以前のように仲良く生活したい。
これは、情です。
一言で言えば、過去への種着です。
前にも話しましたが、過去に執着していると、先の未来はその過去の延長線でしかありません。
ましてや、今現在、パートナーが不倫したと言う重荷も背負わなければなりません。
待っているのは、今までと同じ繰り返し、もしくはもっと悲惨な未来。
それとは対照的に、愛は際限がありません。
愛の究極は、一体感です。
共に共感しあいながらも、成長しあえる関係です。
過去への執着を捨て、愛に生きるなら再構築もあり得ると思います。
情であるならば、思い切って卒業(別れる)の選択も考慮すべきなのではないでしょうか。
自分の頭上、15センチ上から、もう一度自分を良く見てみるべきではないでしょうか?
ここは、お互いに改めて真剣に考えたいと思います。
自分の幸せも大事ですが、本当の意味での成長とは、幸せとは何なのかを考えながら・・・・・